文化・芸術

アイスランドからの復興支援に感謝するパネル展開催

2012年今年の9月のアイスランドは寒波に見舞われ、とんでもないブリザードで駆り集め前の羊たちが雪に埋もれて、相当数が犠牲なり、いまも3000頭余り行方不明になっているとのこと。北部では群発地震で落ち着かないようですが、今年も10月もおしまいになしました。

10月25日(木)から27日(土)までアイスランドからの被災地支援に感謝して、アイスランドを紹介するパネル展、『わたしと世界の家族展~日本を愛したアイスランド』と題して行っています。主催は世界平和女性連合神奈川第7連合会、後援は駐日アイスランド大使館、日本アイスランド協会です。

被災地支援に対しては、アイスランド政府から震災直後1000万クローナ(約700万円)の赤十字を通じての支援の表明がありました。

日本の外務省がGoサインを出さなかったので出動はなかったのですが、ハイチ大地震のときにどこより早く駆けつけた救助捜索隊(ICE-SAR)もスタンバイしてました。

そのほか日本在住の邦人たちを中心に支援活動の輪が広がり、日本の文化に触れながら募金を募る会をあちこちで行い、子どもたちが日本へのメッセージを描いていました。

また6000点近くのニット製品が寄せられ、11月に配布され、寒さが本番になる被災地の方々に喜ばれていました。

アイスランド赤十字も電話一本で寄付を募るキャンペーンを行っていましたが、官民合わせて17,491,250の支援がアイスランド赤十字を通して日本赤十字社に送られました。

ありがとうございました

その支援に感謝を込めてアイスランドを紹介し、知られざるその姿を知っていただきたいと願って開催しました。

Tennji1

Tennji2時間のある方は、小田急江ノ島線「高座渋谷」駅下車」。西口目の前の渋谷学習センター1Fギャラリーで開催ですのでお立ち寄りください。

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ノンニ展開催in 平塚 2011.9.28~10.4

ご無沙汰しておりました。遅ればせながらニュースです。Nonnichirashihiratsuka_2

昭和初期、80歳で来日し、日本の子どもたちに夢と希望を与えたアイスランドの童話作家、ヨーン・スウェンソン(愛称ノンニ)の企画展、「生きる喜びと世界の平和展 童話作家ノンニと日本の子どもたち」が9月28日(水)から10月4日(火)まで、神奈川県平塚市升水記念市民図書館(八重咲町7の35)で開かれています。

10月1日・2日13時からはノンニの代表作『ノンニとマンニのふしぎな冒険』の朗読会、同14時30分からはモントリオール国際子ども映画祭最優秀映画賞作品『イキングッド』の上映会も予定されています。

お近くの方は足をお運びください。

取り急ぎお知らせいたしました。

ノンニについてはこちら、と2010年のノンニ展のご案内のなかのこちらもごらんください。

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アイスランドの魂の詩人、ハトルグリームル・ピエトルソン

ハトルグリームル・ピエトルソン(Hallgrímur Pétursson (1614-1674)はアイスランド国民からもっとも慕われている17世紀の牧師であり詩人です。その知られていない作品がスウェーデンの古い写本の中から発見されたと言うことでニュースになっていた。

レイキャビクを訪れたら誰でも目にするあの強烈に目立つロケットのような丘の上の教会、ハトルグリムスキルキャ(Hallgrímskirkja)が、この方の名前にちなんで命名されたことを知れば、どのくらい愛されているのかよくわかる。070830hallgch

ハトルグリームルを有名にしているのは「受難の歌」(Passíusálmar ーう さぉるまる、英語でHymns of Passionという50篇からなる聖歌で、彼が牧師在職中の1656年から1659年にキリストのゲッセマネの園から墓に葬られるまでの道行きを瞑想しながら詠ったもの。

アイスランド文学の歴史には2つの頂点があるといわれ、一つはニャルスサーガ(Njáll’s Saga)でもう一つがこの「受難の歌」。

アイスランドは話し合いによってキリスト教に改宗した歴史があり、したがって改宗につきものの流血事件もなかった(カソリックからルーテル教会に改宗したときは司教親子が処刑された経緯はあったが)。だからなのか、礼拝の参加者は信徒の10%ほど。熱い信仰の覚醒がないのが熱心なクリスチャンたちの嘆きとなっているようだ。

しかし、イースターをまえにした聖金曜日(Föstudagurinn langi)にはこの「受難の歌」がささげられ、それを聞きに多くのアイスランド人が教会に集う。

歌といってもメロディーもオルガンの伴奏があるわけではない。引導者がこの歌を朗詠するのを会衆はひたすら耳を傾けて聞いているというのである。そして人々はこの歌を通して主の前に頭を垂れ、主の痛みをわが痛みとして、信仰をささげる----

Hall_pass「我が魂、心、思いよ、そしてわが内に見る全てのものよ、蘇れ。主よ、来たりて我を、わが言葉を汝がものとし、主の驚くべき受難を知らしめよ!」“Arise my soul, my heart, my mind, and all that I within me find; Come help me, tongue, my Lord to own and make His wondrous passion known!”----これは「受難の歌」の最初の一節である。 (英語からの翻訳は私の責任でございます)

不謹慎な言い方だが、とってもまじめで悲しい作品なのである。最後の一節は分かれて「Death’s Uncertain Hour(死の不確かな時間)」というお葬式に欠かせない歌となっているというし・・・。

楽しい楽しいクリスマスににわかにクリスチャンが増えるのは日本もそうだから良くわかる。しかし海外ではそれほど知られてはいないというこの「受難の歌」に、聖金曜日の教会が人で埋まり、半旗でキリストに哀悼の意をささげる、というのは、ハトルグリームルの作品へのアイスランド人の強烈な愛情と、彼らの愛国心によるものかもしれない。彼のアイスランド人の信仰の形成への貢献は大きい。

嗚呼、アイスランド人!

(参照:Iceland Review 2011.4.25

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6月17日はアイスランドの父、ヨーン・シーグルズソン(Jón Sígurðsson)の日

政局が混迷する中、選挙を迎える日本の私たちにも考えさせられる出来事で、選挙前に書かずにはいられなかったテーマです。アイスランドの建国の父と言われるヨーン・シーグルズソン(Jón Sígurðsson 1811-1879)について書いてみましょう。

Jon_sigurdsson_22010年6月17日、カナダのマニトバ州議会は今後この日をアイスランドの独立の指導者ヨーン・シーグルズソンの日として祝うことを承認しました。6月17日はアイスランドの建国記念日であり、1944年にデンマークからの独立を祝う日ですが、もともとこの日はヨーン・シーグルズソンの誕生日を記念して制定されたもの。

マニトバ州はカナダで最もアイスランド系カナダ人が多い州(3万人)でこの議案を提出した議員もその一人。それにしても異国の政治指導者を記念する日を州で制定するに到った理由が、ヨーンの政治指導者としての姿勢--不屈の精神と決断力で事を成すこと--は世界中の政治家のよき手本であるから、というのは、議決した議員たちのレベルの高さも伺えます。

ヨーン・シグルズソンの外交術はユニバーサルスタンダード

アイスランドがデンマーク王の支配下にあった1833年にコペンハーゲンに留学し、アイスランドの古文書のコレクション、アルナマグナイアン(Arnamagnæan)を紐解きその研究の一人者になりました。これはアイスランドの精神的国家的財産ともいえるサガの写本など、貴重な文献のコレクションでした。

デンマーク王の独裁に屈して支配下に落ちたのは1662年。しかし1948年にデンマーク王が独裁者の立場を放棄すると、ヨーンは正当な権利としてのアイスランドの自治権の返還を求めるようになりました。「デンマークに支配される前は、自由の民として義務と権利をもってノルウェー王をいただいていた」その権利を再び取り戻すべきだと主張しました。

ヨーンの闘う武器はすべて、学んだ歴史書の中にありました。論理的かつ紳士的に、しかし倦むことなく飽くことなく熱烈に、ことあるごとにその正当性を訴え続けました。それがついに聞き入れられ1874年に制限的に内政が許され、その数年後は完全な自治が与えられるようになりました。

天性の指導者

彼はいとこのインギビョルク・エイナルスドッテルと結婚するとデンマークに住まい、そこはまるでアイスランド大使館のようにアイスランド人のよりどころとなりました。

彼はアイスランドの国民会議アルシンギで議長を務めるために、1年おきにデンマークからアイスランドに渡り、生涯で29回往復しています。今のように飛行機がない時代、郵便船や貨物船でありとあらゆる天候が予想される春や秋に航海するのは、けして快適な旅ではなかったでしょう。そしてほとんど毎回妻が同伴していました。2人には子どもはいませんでしたが、すべてのアイスランド人が彼らの子どもだったと当代の人々は語っていたとのこと。

そして彼は誰からも好かれていたとのこと。お祭りや行事に誘わればだれよりも楽しそうにしているが、几帳面で勤勉で分別があり、王様にも小遣いの少年にも誰に対しても態度を変えることなく礼儀正しい人でした。そして、すれ違えば誰もがいったいこの人はどんな人なのだろうと思わせる高貴な風貌と物腰で、デンマークの指導者にさえ、この人の言うことなら正しいかもしれないという思いを抱かせたのではないでしょうか。敵であるはずのデンマーク人でさえ彼の専門分野といえば彼の為に喜んで便宜を図ったということです。

政治家が国民を育て、国民が政治家を育てるもの

かくしてヨーン・シーグルズソンは国家的ヒーローとして称えられ、彼ほどアカデミックな政治家はいないだろうと言われます。歴史を紐解いて国の行くべき道を探り、粘り強くその道をひらくために行動した、その生き様がアイスランド人の誇りになっています。

民主主義国家は国民が代表を選び、選ばれたものは選んだものにも責任がある--その考えは民主主義が成熟した欧米から多く学ぶものがあります。正しいことを貫き通し、その人がいうなら正しいに違いないと思わせる人、今はなかなかいませんが、そういう人を育て推す国民であらねばなりませんし、それに従う国民であらねばなりませんねぇ。

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世界初の女性大統領、80歳の誕生日に寄せて

1994年6月、アイスランドは独立50周年のお祝いを目前に、町中が祝祭の準備一色になっていました。きりりと青いレイキャビクの空の下、町のディスプレー用の窓という窓には国旗を象徴する青、白、赤に染められたリボンが目も鮮やかに結ばれ、そこには必ずといっていいほど、額に入った気高く美しい女性の写真が。

アイスランドが生んだ世界初の女性大統領
ヴィグディス・フィンヴォガドッテル(Vigdís Finnbogadóttir)世界で初めて民主的に選ばれた女性国家元首だと知ったのはその後でした。自由を求めて人々が集まった国で、かくも美しく人々の心を束ねることができる「象徴」がいたということは、驚きでありましたが、どれほどのアイスランドの誇りであったことでしょうか。

Fjallkonan

優れたリーダーシップで国民の象徴的存在に
2010年4月15日は元大統領ヴィグディス・フィンボガドッテルの80歳の誕生日。アイスランドでは多くの方が彼女の功績を称え親しみをこめてお祝いしました。 1980年4月29日にヴィグディス(アイスランドでは国家元首でもファーストネームで呼ばれる)が大統領に選出されとき、彼女は世界で初めて民主的な投票で選ばれた国家元首となりました。それから16年、彼女はアイスランドの文化を世界に広めながら優れたリーダーシップをとってきました。彼女は政治的には常に中立の立場に発っていました。(今の大統領と比較されるのですが・・・)

彼女の在任中は、経済的、政治的にも不安定で、厳しい自然災害も起きました。そのとき人々はヴィグディスを見つめ、慎み深く働き者の大統領の姿から、誇るべきアイスランド人の姿を見出していました。彼女はアイスランド人の統一の象徴でありました。

彼女はまさしくFjallkona フャットコーナ:Woman of Mountains=「山淑女」とでも訳そうであると人は称えます。これは、真のアイスランドの価値の女性の化身で、生粋のアイスランド人の象徴であると同時に、アイスランド人の見果てぬ夢、完全な独立の象徴であります。

ユネスコ言語親善大使として活躍
大統領退任後は言語の分野に情熱を燃やし、1998年には最初のユネスコ外国語親善大使になりました。彼女のモットーは「言語は世界の鍵」、外国語を学んでその文化を知ることを勧めています。とくに母国語を良く学び保存することを勧めています。母国語を失えば自分の文化を失うことになるから。

ヴィグディス外国語学院の設立
2001年アイスランド大学はヴィグディスの名前で外国語学院を設立。ここでは第2外国語及び外国語の研究と教育法の推進と支援を行っていますが、言語が人間生活のあらゆる方面で役割を果たしているということ、2言語以上を知ることが個人や社会に恩恵をもたらすという考えに基づいています。

現在、ヴィグディスと学院は世界言語センターをアイスランドに設立することを目指しています。ここに、世界の言語を可能な限り集め、開かれたデータベースと、世界の言語のホームグランドとなることをねがって。これはヴィグディスの誕生日プレゼントであり、このプロジェクトは世界中で支持を集め、現在このセンターのユネスコ承認を求めて動いているとのことです。

1000年の伝統を残すアイスランド語
アイスランドは30万ちょっとの人口で1000年の間自国の言語を守ってきた国。守ってきたというより、ほかの北欧諸国や大陸の言語が他と交流して時に簡略化されてきたのとは異なり、他の影響を受けなかったゆえに、古い言語の伝統である非常に複雑な語尾変化や格による変化が今でも残っています。(言語のガラパゴス諸島だといえよう)

しかし、現代社会では、あまたの情報を入手するためには翻訳が追いつかず(採算が取れない?)外国語の情報をそのまま利用せざるをえないケースが多いようです。実際、テレビで流れる映画はすべて原語のままで、アイスランド語の字幕がつくだけ。祖国とその文化を愛するがゆえに、母国語習得とバランスをとった外国語の習得の大切さに気づいたヴィグディスは素晴らしい。

Vigdis_1994 火山の噴火と経済破綻原因究明レポートの発表の狭間でアイスランドだけのお祝いとなってしまった愛するヴィグディスの誕生日に遅ればせながら、ハッピーバースデー! Til hamingju með afmælið(てぃるはみんぎゅー めずあんまいり)!

(写真は1994年6月17日独立記念日、国会議事堂でのセレモニー後のヴィグディス大統領)

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童話作家ノンニと日本の子供たち~展示会・朗読会開催中

Nonni アイスランドの世界的童話作家ノンニの展示会が横浜市栄区本郷台「あーすぷらざ」で開催中!

アイスランド童話作家ヨーン・スウェンソン(ノンニ)は、昭和12年、80歳で来日。「第二のアンデルセン」として話題になりました。その生涯を写真パネルで展示、また朗読会を開催します。(かながわ国際交流財団あーすぷらざHPより)

生きる喜びと世界の平和展:
日本、アイスランド、ドイツ
~童話作家ノンニと日本の子どもたち~展示会・朗読会

■日 時:
【展示会】
•2010年1月11日(月,祝)~17日(日)10:00~17:00

【朗読会】『ノンニとマンニのふしぎな冒険』 語り:茨木啓子
•1月17日(日)11:00~12:00、14:00~15:00

■場 所: かながわ国際交流財団・あーすぷらざ 3階・企画展示室
■定 員:朗読会は先着30名
■申 込:事前申し込み不要
■参加費:無料
■問合せ:
(内容について)自然環境と人間生活を考える会(わたなべ)
TEL:090-4710-3790
(会場について)あーすぷらざ
TEL:045-896-2121
○主催:NPO自然環境と人間生活を考える会
○共催:(財)かながわ国際交流財団、ノンニ博物館(アイスランド・アークレイリ)
○後援:神奈川県教育委員会、在日アイスランド大使館、日本アイスランド学会、(財)日独協会

ノンニを知ること・紹介することも経済危機で揺れるアイスランドを誇らしく、応援することだと信じています。

Nonnahus_s

企画は前駐アイスランド大使の渡邉奉勝氏。「けして幸せな境遇でなかったのにもかかわらず、人々に希望を与え勇気を与える為に童話を書いたことに感動」と、在任中にノンニに魅せられ、来日後はノンニ展の企画・開催に奔走されていらっしゃいました。

ノンニの人となりはぜひ会場に足を運んでご覧いただければと思いますが、行かれないかたは以前のブログのこちらにささやかなご紹介をいたしました。

2008年9月2日にノンニが幼少期を過ごしたアクレイリの今はノンニ博物館になっている家を訪ねました。ノンニ博物館は冬(9月以降)は閉館でしたが、同年10月に池袋の自由学園で開催されるノンニ展に赴き紹介をする、というブリンヒルズルさんがいらして、わざわざ開けてくださいました。なにか不思議な運命を感じました~。

Nonnibooks_2 写真は上から昭和13年 ノンニと帝塚山学院の生徒(ノンニ博物館に展示されていました)、ノンニ博物館(ノンニが14歳までをすごした家)、ノンニが日本に旅したときのことを書いた「Nonnni in Japan」ドイツ語の旅行記などノンニの著書。

そしてアクレイリの入り江を見つめて立つノンニ像。どこか寂しそうに感じるのは私だけでしょうか。(後ろの赤い壁の家の裏がノンニ博物館)

Nonni_akreyri_2 

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一風変わったコンサートシリーズ開催(IcelandReview)

アイスランドでは自分の国と国民をそれぞれの持てる力で元気にしたい、と立ち上がる人がたくさんいます。ほんの一例ですが、こんな記事がありました。

レイキャビクの池のほとりのフリーチャーチ(Fríkirkjan フリーキルキャン)で9月16日12:15から一風変わったコンサートシリーズが始まる。いままで演奏したことがない演奏家が演奏し、演奏する音楽は知られていない音楽である。

Frikirkjan
フリーチャーチ アイスランドでもっとも古い教会の一つ。民間人がお金を出し合って建てたという

「この夏、私はアイスランドの状況について考え、我々音楽家はなにができるだろうかと考えてきた。そして思いつきました。誰が歌おうと演奏しようと構わない――問題にするのはそれが音楽であることだけ、という演奏会シリーズを企画するのは面白いんじゃないか」と、コンサートを企画したピアニストのGerrit Schuilは語る。

Gerrit Schuilはさらに付け加えて「ひとつお約束しますが、すべて最高の音楽家が演奏します。つまり私と何年も一緒に仕事をしてきた人々です。」

このコンサートシリーズのタイトルは「Ljádu okkur eyra(耳を貸して)」で入場無料。コンサートは毎週水曜日年末まで開催。

生きたアイスランドを見たい、という方は、アイスランドにお越しの際はぜひ立ち寄ってください。たぶんお昼休みのプログラムだと思います。

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ノンニ日本滞在記(Nonni í Japan)

待望のアイスランドの童話作家ノンニ(ヨーン・スウェインソン)の日本滞在記が手に入りましたnote

Nonni_i_japan_front_2 これは、今から約70年前、ノンニが80歳の1937年から1年間日本に滞在したときの記録です。

ノンニは日本の子供たちの礼儀正しさ、素直さに感動し、心から日本を愛した方で、ドイツに帰国後この本で日本を紹介しました。

残念ながら、ノンニは本の出版を見ることなく他界しましたが、草稿がまとめられ、ドイツで出版されました。

ですから、原語はドイツ語です。ドイツ語のオリジナルを手に入れたかったのですが、なんと、アイスランド語版が手に入ってしまいました!これは超レアモノですよ!ほんとうに世界に数えるほどしか存在しない・・・

でも、誰が訳すんだろう・・・

人々に喜びを与えたい、希望を与えたい、と願って童話を書き続けたノンニに、希望と喜びを与えた日本人、日本の子供たち。それはどんな姿だったのか、今の日本にも必要な大切なヒントがあるのではないかと感じ、いつの日かいつの日か読んでみたい、できれば日本語になって欲しい一冊です。

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ノンニ~世界のこどもを夢中にさせたアイスランドの物語作家

ノンニことヨーン・スウェンソン(スウェインソンより修正)はアイスランド生まれの著名な童話作家です。

1870年留学のため13歳で海を渡り、デンマーク、ドイツを経由してフランスの修道院つきの学校で学び、神父となってドイツなどの学校で教鞭をとっていました。55歳から物語作家としての頭角を現し、当時その作品が世界40カ国の言葉に翻訳された人気童話作家でありました。

幼いころより冒険好きで、「アラビアン・ナイト」などを好んで読み、とくに9歳のときにシャルルボアの「世界歴史物語」を読んでからは、海外を旅する夢をいだくようになり、日本への憧れを募らせました。1937年、ついにノンニは80歳にしてその夢を果たしました。ノンニは日本の子どもたちが大好きになり、1年間の日本滞在中に50回以上の講演を行いました。

ノンニはその回想の中でこのように記しています。

「同じ時代に生きている人々に、生きる喜びを与えたいというのが、私の切実な願いでした。私の長い生涯を通して、私は確信するようになったのです、この時代にひろがっている魂の病いこそが、私たちの悲しみと勇気喪失のもとであることを。大多数の人が、運命の打撃にうちひしがれて あらゆる幸福と喜びと平和を失っています。このような悪に対して私は私の書物によって、単に少年少女のためばかりでなく、むしろより多くおとなのためにも戦い、また働きかけようとしたのです。---」

幼くして父を亡くし、母親の元を離れて留学しましたが、母親とは二度と会うことはありませんでした。そして愛する弟を病で失い、けして幸せいっぱいの人生ではなかったけれど、なにか、人の心の支えとなりたい、という思いがノンニを突き動かしていたのではないでしょうか。その著書の中には「ノンニはどのようにして幸福になったのか」という書物もあります。

歴史を越えて、時代の波と闘う私たちにも働きかけるものがあるのではないかと思い、すでに絶版となったノンニの本をたずねてみました。

先日ヨーン・スウェンソン(スウェインソンより修正)の貴重な童話の初版本(昭和12年)を入手しました。序<文はノンニと共に全国行脚をした物語口述師、岸辺福雄氏が書いています。Nonnibrothersadventure_4

以下はノンニが北アイスランドのアクレイリで過ごした家が、現在ノンニ博物館として開放されていますが、そのウェブサイトです。

http://www.nonni.is/

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アイスランドの写本がユネスコに認定!(Iceland Reviewより)

アイスランドの文化的遺産がユネスコに認定された記事が8月8日に載っていました。このようにアイスランドの資料には時としてとんでもなく貴重なものがあるのです。(ふれいあ)
以下が記事の紹介です・・・

Árni Magnússon(アウルニ・マグヌスソン)の中世写本コレクションが、他の34の文化的遺産と共に、特別保存登録(special preservationspan registry=無形文化遺産Intangible Cultural Heritageのことではないのかしら?)に追加された。

ユネスコによると、この写本は特別保存に値する遺産であり、それは特定の地域のみならず、地球規模の価値がある、とアイスランド研究のためのアウルニ・マグヌスソン学会のディレクターであるGudrún Nordal(グズルン・ノルダル)は新聞社のインタビューに答えた。

写本コレクションは、昨年アイスランドおよびデンマーク両政府を代表してノミネートされた。そのコレクションの一部はデンマークで保存されていためである。

「この認定はこのコレクションをもっと体系的な方法で海外に紹介するチャンスを与えてくれたのと同時に、我々も出来る限りこの写本を保存する義務が課せられたとノルダルは付け加えた。

アウルニ・マグヌスソンはアイスランドの哲学者で、人生のほとんどを写本の収集に捧げ、主にアイスランドで、そして同時にその他の北欧諸国で収集し、アイスランド・サガとそのほかの国々の文学的財産を保存した。

マグヌスソンのコレクションはコペンハーゲンで保存され、彼は1971年までそこで学び、コレクションの中の最初の写本はアイスランド国家に戻ってきた。

http://www.icelandreview.com/icelandreview/daily_news/?cat_id=28304&ew_0_a_id=337462

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