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2010年7月

アイスランドの歳入創出、また増税?

あまりの暑さに選挙後の日本の行方に関する話題が吹っ飛んでしまったかに見えますが、ちょうど選挙結果がでたころ、アイスランドで物議をかもしたIMFによる税制見直し談義である。

IMFはアイスランド政府に食品のVAT(付加価値税)を25.5%にアップして歳入を増やすことを提案した。そして現在7%の付加価値税の製品の付加価値税を引き上げて最低付加価値税段階を廃止しすることを提案(→14%と25.5%にするということかな)

Dairy_products_2        スーパーの乳製品コーナー。部屋ごと冷蔵庫になっている

アイスランド政府はIMFの専門家に、税制について見直し国家歳入が国内総生産の1から2パーセント増加させるにはどうしたらいいか提案してもらうようお願いした。

IMFは税制は基本的に健全であるとした。いくらかの改善点を提案しながら。その他には資本税を20パーセントに引き上げ、375000クローナ(USD 3,000, EUR 1,400)以上の所得者に高額所得税の47%を課すことで税制段階の数を減らすことを提案している。

これに対して首相はとんでもない(out of the question)といっている。でも聞いてみるのはいいことだ、と。

あれ、いい迷惑はIMF?

でもアイスランドのすさまじい税制の一端を垣間見ることができましたでしょうか。昨年秋からの新税制に関する記事はこちらから。

ちなみに、7月13日には、IMFが入っている建物の周りを100人あまりのデモ隊が取り囲み、また例によって鍋ややかんを叩いて「IMFは出て行け~」と訴えたという。警察官は静観していたが、エキサイトしたのが赤いペンキをIMFの建物に吹き付けて捕まった。

たくさんの観光客が立ち尽くして見物していたという。(ああ~これが無血「なべやかん革命」の残党だな~と)。

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アイスランド火山のその後

アイスランドではエイヤフィアトラヨークトル氷河の火山噴火の終焉宣言はまだまだする時期ではないようだ。

6月7日(2010年)には微小噴火があったようで、火口で黒い水しぶき(?)が上がったのが確認されたようだ。

9日には高度3000メートルほどの水蒸気の雲の柱が火山から立ち上っているのがかなり遠くからも確認された。アイスランド気象庁では、火山の火口にはたくさんの水が存在し、下から熱せられることによって発生したとしている。
しかし、この雲には火山灰は含まれず、きれいな白い色をしていて、火山活動が再開する兆候はなく、エイヤフィヤトラヨークトル火山がまた噴火するとは考えられない。

100709webcomIcelandReview掲載のウェブカメラ画像

1821年から1823年まで続いた噴火では長期にわたって噴火が休止した時期があった。噴火が止んだと発表するには3ヶ月の休止期間を見るのが大体の目安である。

今日のエイヤフィヤトラヨークトルはというと・・・

100716webcam

ちなみにたぶんこれ、午前2:00くらいだと思う。そう、忘れていたんだけど、アイスランドは白夜です。

火山灰地帯の農地のその後

エイヤフィヨトル山ふもと、春のエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山噴火の際、広く火山灰が降り注いだアイスランド南部のこの地域にも夏が訪れ、灰色一色だった農地が今は鮮やかな緑に覆われている。

牧草は火山灰層を突き抜けて芽を出し、ぐんぐん生育している。農地は今も機械で掘り起こすと火山灰がでてくるが、牧草は良質な飼料に育つことが期待されていて、牧草に砂が混じれば多少羊の歯が磨り減るかもしれないが、火山灰による汚染は心配していない、とのこと。

しかし、今月初めの風速40メートルもの嵐の日、火山灰が激しく巻き上げられ、樹木の葉がぼろぼろになったとか・・・。火山灰には多くのケイ素(ガラスの成分)が多く含まれているため、こんな日は粉塵マスクにゴーグルに・・・完全武装しないと出歩けないようだ。

晴れればよいけど、嵐は困る、現在のアイスランド南部の状況でした。

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6月17日はアイスランドの父、ヨーン・シーグルズソン(Jón Sígurðsson)の日

政局が混迷する中、選挙を迎える日本の私たちにも考えさせられる出来事で、選挙前に書かずにはいられなかったテーマです。アイスランドの建国の父と言われるヨーン・シーグルズソン(Jón Sígurðsson 1811-1879)について書いてみましょう。

Jon_sigurdsson_22010年6月17日、カナダのマニトバ州議会は今後この日をアイスランドの独立の指導者ヨーン・シーグルズソンの日として祝うことを承認しました。6月17日はアイスランドの建国記念日であり、1944年にデンマークからの独立を祝う日ですが、もともとこの日はヨーン・シーグルズソンの誕生日を記念して制定されたもの。

マニトバ州はカナダで最もアイスランド系カナダ人が多い州(3万人)でこの議案を提出した議員もその一人。それにしても異国の政治指導者を記念する日を州で制定するに到った理由が、ヨーンの政治指導者としての姿勢--不屈の精神と決断力で事を成すこと--は世界中の政治家のよき手本であるから、というのは、議決した議員たちのレベルの高さも伺えます。

ヨーン・シグルズソンの外交術はユニバーサルスタンダード

アイスランドがデンマーク王の支配下にあった1833年にコペンハーゲンに留学し、アイスランドの古文書のコレクション、アルナマグナイアン(Arnamagnæan)を紐解きその研究の一人者になりました。これはアイスランドの精神的国家的財産ともいえるサガの写本など、貴重な文献のコレクションでした。

デンマーク王の独裁に屈して支配下に落ちたのは1662年。しかし1948年にデンマーク王が独裁者の立場を放棄すると、ヨーンは正当な権利としてのアイスランドの自治権の返還を求めるようになりました。「デンマークに支配される前は、自由の民として義務と権利をもってノルウェー王をいただいていた」その権利を再び取り戻すべきだと主張しました。

ヨーンの闘う武器はすべて、学んだ歴史書の中にありました。論理的かつ紳士的に、しかし倦むことなく飽くことなく熱烈に、ことあるごとにその正当性を訴え続けました。それがついに聞き入れられ1874年に制限的に内政が許され、その数年後は完全な自治が与えられるようになりました。

天性の指導者

彼はいとこのインギビョルク・エイナルスドッテルと結婚するとデンマークに住まい、そこはまるでアイスランド大使館のようにアイスランド人のよりどころとなりました。

彼はアイスランドの国民会議アルシンギで議長を務めるために、1年おきにデンマークからアイスランドに渡り、生涯で29回往復しています。今のように飛行機がない時代、郵便船や貨物船でありとあらゆる天候が予想される春や秋に航海するのは、けして快適な旅ではなかったでしょう。そしてほとんど毎回妻が同伴していました。2人には子どもはいませんでしたが、すべてのアイスランド人が彼らの子どもだったと当代の人々は語っていたとのこと。

そして彼は誰からも好かれていたとのこと。お祭りや行事に誘わればだれよりも楽しそうにしているが、几帳面で勤勉で分別があり、王様にも小遣いの少年にも誰に対しても態度を変えることなく礼儀正しい人でした。そして、すれ違えば誰もがいったいこの人はどんな人なのだろうと思わせる高貴な風貌と物腰で、デンマークの指導者にさえ、この人の言うことなら正しいかもしれないという思いを抱かせたのではないでしょうか。敵であるはずのデンマーク人でさえ彼の専門分野といえば彼の為に喜んで便宜を図ったということです。

政治家が国民を育て、国民が政治家を育てるもの

かくしてヨーン・シーグルズソンは国家的ヒーローとして称えられ、彼ほどアカデミックな政治家はいないだろうと言われます。歴史を紐解いて国の行くべき道を探り、粘り強くその道をひらくために行動した、その生き様がアイスランド人の誇りになっています。

民主主義国家は国民が代表を選び、選ばれたものは選んだものにも責任がある--その考えは民主主義が成熟した欧米から多く学ぶものがあります。正しいことを貫き通し、その人がいうなら正しいに違いないと思わせる人、今はなかなかいませんが、そういう人を育て推す国民であらねばなりませんし、それに従う国民であらねばなりませんねぇ。

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